父と子で刻む、こんぴらの歴史 | 関西うどん こんぴら | 採用特設サイト

父と子で刻む、こんぴらの歴史

大阪から横浜へ –「讃岐うどん こんぴら」の始まり

故郷の誇りを武器に挑む、大舞台:横浜での夢

先祖や親族たち本家がルーツの香川と、生まれ馴染んだ故郷:大阪のエッセンスを掛け合わせた独自のうどんを武器に、上京した横浜で初代店主が「讃岐うどん こんぴら」を創業。関西風の優しい甘みが特徴の出汁は、想定を超えて幅広い年齢層に支持を頂きました。

母は子育てとも両立で父をサポートし、当時幼き長男次男も裏手口で単純作業をキャッキャと見よう見まね。家族経営から徐々に仲間が集まり、わずか15坪のお店は、いつしかスタッフもお客様もいっぱいになっていました。

世代を超えた「こんぴら」の継承




「より多くのお客様に。」

鉄道利便性の向上や商業施設の竣成など街の開発が進む中、こんぴらも移転を決断。席数を倍近く増やし、新メニューも開発して臨んだ新規オープンは、オペレーションの勝手が変わってハードな滑り出しでした。
それでも1つ1つ課題を克服して、旧店に引けを取らないお店に成長。


移り住んできた方々に、「都筑に来てよかった」と思ってもらえるきっかけの一つになれるよう、港北ニュータウンの真ん中で、スタッフ一同、日々精進してきました。

地元に根付くリニューアル「関西うどん こんぴら」

「この店の味を絶やしたくない」

創業から20年を迎えた頃。
初代店主が実家大阪の家業を支える為、こんぴらをたたんでの帰郷を決意しました。
手はずを整え出してから息子らに伝えたのは、「継がないだろう」と感じていたからでした。一方で突然の決定を聞いた長男は、深い迷いや不安がありながらも、
「この店の味を絶やしたくない」という思いが芽生えていました。
家族や友人の後押しが決心となり、会社を退職して初代の廃業を覆す事に。

交わした約束の期日1年でみっちり手ほどきを受け、長男が2代目を継承。
それでもまだまだ身の丈に会わない2代目に後ろ髪を引かれながらも、
大阪へ帰郷した初代も、家業の継承に傾注していきました。

地域とともに歩む「関西うどん こんぴら」の未来

伝統を受け継ぎ、新たな門出。

未熟な2代目が成長できたのは、初代が長年連れ添ったスタッフの支えがあったからでした。パートさんは母のように、また社員さんや学生のバイトスタッフも兄のように、
2代目が幼い頃からお店や社内イベントで会うたび、可愛がってもらっていました。
初代の心を同じく持つスタッフからの指導とフォローを受けて心技体を磨き、
4年後にようやく、初代も安心できる2代目に真の意味でバトンタッチを終えました。


2代目に積み上がったのは自信と実績だけでなく、「感謝」でした。
スタッフ以外にも、お客様からの指摘や助言、称賛が気づきと成長に繋がっていて、
お店が続いてきたのは、何より「こんぴらのファンでいてくれる皆の力」と痛感しました。


2022年。この温かいお店や人の輪は、初代を育んだ大阪圏の文化が核であると考え、
敬意を込めて「関西うどん こんぴら」と名を改めました。
利益よりも、義理人情。ごまかし嘘無し忖度無しの真っ直ぐ商売!
こっち(関東)の方から見たらちょっと変わってるかも?
そんなこんぴらですが、これからもどうぞ、宜しくお願い致します。