大阪から横浜へ –「讃岐うどん こんぴら」の始まり
世代を超えた「こんぴら」の継承
「より多くのお客様に。」
鉄道利便性の向上や商業施設の竣成など街の開発が進む中、こんぴらも移転を決断。席数を倍近く増やし、新メニューも開発して臨んだ新規オープンは、オペレーションの勝手が変わってハードな滑り出しでした。
それでも1つ1つ課題を克服して、旧店に引けを取らないお店に成長。
移り住んできた方々に、「都筑に来てよかった」と思ってもらえるきっかけの一つになれるよう、港北ニュータウンの真ん中で、スタッフ一同、日々精進してきました。
地元に根付くリニューアル「関西うどん こんぴら」
「この店の味を絶やしたくない」
創業から20年を迎えた頃。
初代店主が実家大阪の家業を支える為、こんぴらをたたんでの帰郷を決意しました。
手はずを整え出してから息子らに伝えたのは、「継がないだろう」と感じていたからでした。一方で突然の決定を聞いた長男は、深い迷いや不安がありながらも、
「この店の味を絶やしたくない」という思いが芽生えていました。
家族や友人の後押しが決心となり、会社を退職して初代の廃業を覆す事に。
交わした約束の期日1年でみっちり手ほどきを受け、長男が2代目を継承。
それでもまだまだ身の丈に会わない2代目に後ろ髪を引かれながらも、
大阪へ帰郷した初代も、家業の継承に傾注していきました。
地域とともに歩む「関西うどん こんぴら」の未来
伝統を受け継ぎ、新たな門出。
未熟な2代目が成長できたのは、初代が長年連れ添ったスタッフの支えがあったからでした。パートさんは母のように、また社員さんや学生のバイトスタッフも兄のように、
2代目が幼い頃からお店や社内イベントで会うたび、可愛がってもらっていました。
初代の心を同じく持つスタッフからの指導とフォローを受けて心技体を磨き、
4年後にようやく、初代も安心できる2代目に真の意味でバトンタッチを終えました。
2代目に積み上がったのは自信と実績だけでなく、「感謝」でした。
スタッフ以外にも、お客様からの指摘や助言、称賛が気づきと成長に繋がっていて、
お店が続いてきたのは、何より「こんぴらのファンでいてくれる皆の力」と痛感しました。
2022年。この温かいお店や人の輪は、初代を育んだ大阪圏の文化が核であると考え、
敬意を込めて「関西うどん こんぴら」と名を改めました。
利益よりも、義理人情。ごまかし嘘無し忖度無しの真っ直ぐ商売!
こっち(関東)の方から見たらちょっと変わってるかも?
そんなこんぴらですが、これからもどうぞ、宜しくお願い致します。